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福島市から新潟市へ一家避難した子育て主夫の些細な気づき


by zaoribiyori
 ピンチは続くもんだ。新潟で生活していること自体、非日常が日常化してしまったような、地に足が付いていないような日々なのに、ここでピンチを迎えると、不安は増幅し慌ててしまう。

 1週間前に娘が40度前後の高熱を出した。他の子と比較しようもないが、うちの子はあまり風邪を引いたり発熱したりしないほうだ(と思っている)。身体面に関してはあまり手の掛かる子ではない(と思っている)。だから急に熱を出すと焦る。どうしよう、どうしよう。日中になると比較的熱が下がり、元気にはしゃいだりするのだが、夜になると39度まで熱が上がる。これが4~5日続いた。これほど治らないのはこれまにないことだ。先週末は妻にとって3連休だったが、ひたすら娘を看病し続けた。娘にとってこんな時に必要なのは母親だけだ。親父などは視界に入っただけで「バイバイ」された。

 3連休の最後の日(成人の日)、町の病院は休みだから新潟市中央区の救急医療センター(休日はここにいくしかない)に連れて行った。病院の中は病人やら付き添いやらでごった返していた。やはり小さな子どもが多い。休日に、いくら体調が悪いといって市内にわずかしかない「休日受け入れ医療施設」まで行って診てもらおうとする大人は相当少ない。しかし小さな子どもは、自分で判断できない言葉を話せないなどで、親は不安だから休日だろうがなんだろうがとにかく診てもらいたい。待ってる時間が1時間、診察と検査で30分、会計待ちで1時間。待つ疲れより院内感染が恐い。検査は採血やら採尿やら鼻の粘膜を採られたりして調べてもらった結果、インフルほか感染系には罹っておらず安心した。

 今回の発熱は、結果的に言えば突発性発疹だった。熱が下がると体中が発疹する。その後3日もすれば自然とボツボツは消えていった。2歳までに大抵の子が発症するらしい。ちょっと不安だったのは平熱に戻っても、娘が朝から晩までずっと寝続けていたことだ。いつも回復が早いのに今回は、相当疲れたのか寝てばかり。

 そうこうしているうちに今度は妻がインフルエンザに罹ってしまった。発症から今日で3日目だが、昨日今日と仕事を休んでずっと寝ている。40度近い熱や悪寒とずっと闘っている。娘の突発性発疹は回復期にきていたが、この間ずっと母親と寝ても起きてもベッタリだったから、ちょっとやそっとじゃ離れない。インフル真っ最中のママからおっぱいを飲んでいる。今度はママが昼も夜もずっと寝ている状況になってしまったために、ある程度元気になった娘だが、またまたママと一緒にずっと寝ている格好になってしまった。こりゃ100%感染るわ。今までにも増して娘は母親オンリー、親父はゲッラウトになってしまい、どうしようもない。娘がずっと横で寝たりおっぱい飲んだり起こしにかかるから、妻のインフル回復の妨げになってしまっている。そして父親の無力さ。狭い住まいに3人で暮らしているから、娘への感染は時間の問題で、遠からず僕も罹ることだろう。3人とも予防のワクチンは打っておいたが、妻が罹ったってことは僕と娘も罹患必至と覚悟している。幼児がいる核家族で起きる感染症の罹患がいかに恐ろしいことか。娘が高熱を出していた時、ほとんど食べずに寝てばかりいたから抵抗力・免疫力が落ちているはずだ。インフル感染で重症化する可能性もある。最大のピンチはこれからやって来るかもしれない。

 それともうひとつ痛いことがある。明後日の日曜日に行く予定だったドリカムのコンサートは断念せざるを得ない。半年前に先行予約でチケットを押さえて、妻が心待ちにしていたが、まあ泣くしかない。新潟公演は4年ぶりで、まだ僕らが結婚していなかった頃、福島から新潟まで見に来たコンサートだった。まあしょうがない。まずは目の前の病いを一個ずつ片付けて行くしかない。
# by zaoribiyori | 2013-01-18 23:08

新潟の冬の暮らし

 新潟に越す前に何人かの人に言われたのは、「新潟の冬は暗いよ~」だった。昼間から暗いとはどういうものかと想像してもピンとこなかったが、実際過ごしてみてなるほどこれは暗い。太平洋沿岸育ちの自分にとって冬型の気圧配置と言うと、空は雲ひとつなくカラッと晴れ渡って、空気が乾燥し冷たい。これが日本海側にまわると、真逆に空は厚い雲に覆われ常に雪か雨がぼそぼそと降っている。とりわけ寒いというほどでもないけど、とにかく陰鬱な日が毎日毎日ずーーっと続く。日本列島全部晴れマークで新潟だけ雪なんていうことはしばしばある。極々たまに新潟が晴れなんていう日があると、日本全国雨か雪になってしまう。日本海側は昔から日本のウラ側と表される。田中角栄がこのウラ側にまで道路や新幹線を引っ張ってくれたおかげで、新潟は現在のような利便性の良い地方として発展してきた。「当時は長靴を履いた土建屋の社長がクラウンに乗って毎日ゴルフしてたよ」なんて取材した時に何度か聞いたもんだ。

 「1日1時間外遊び!」を信条として子育てしてきた身としては、この冬場の閉塞的なこもり状態は何とも歯がゆく鬱屈感が出てくる。自分も子も。この季節天気が変わりやすいのも特徴で朝大雪が降っていたかと思ったら、昼過ぎに太陽が顔を出すなんてこともある。そんな瞬間を見逃す訳はなく、娘にサッと上着を引っ掛けブーツを履かせて外に出る。海沿いだから風が強く冷たいが、何より日光を浴びれることがありがたく、2人でそこら辺を歩き回る。子どもも雪の上を歩くのが楽しそうだ。でも周りには、この季節に用もなく歩いている人なんていない。1時間ほどして帰ってくると、雪やみぞれがまたボタボタと降ってくる。新潟市は積雪量こそ大したことないが、降雪頻度はやはり高い。あとは家の中で、何か遊ぶことを見つけてごそごそと過ごす。

 新潟県は北東から南西にかけて長細いので、地域によって天候が違う。平野と山沿いでも随分違う。新潟県の豪雪地域と言うと湯沢や魚沼といった県南の山沿いの地域が当たる。冬場に別の豪雪地域を訪ねたことがあったが、完全に雪に埋もれての生活だった。家の戸が閉まりにくくなったら、屋根の雪下ろしのタイミングだと、その家のおばあさんが言っていた。居間の中央に年季の入った薪ストーブが、この季節に圧倒的な存在感を示して鎮座している。家の外には3年分はあるらしい薪が備蓄されている。ストーブの上でお湯を沸かしてお茶を出してくれ、モチを焼いてもてなしてくれた。この家の中にいると時間の過ぎ方が遅く、世間の株価下落や食糧危機や原発是非なんてどうでもいいように思えてくる。外の世界から遮断されているが故の室内で過ごす、えもいわれぬ温かみがそこには確実にあった。雪国ならではの文化や彼らの営みに、気持ちが融けていく感覚に浸ることができた。
# by zaoribiyori | 2013-01-16 16:14
 家計簿を付けるってどれぐらい一般的なんだろう?こんなこと周りの人に聞いたことがないので見当もつかない。恥ずかしながら我が家は、今年初めて1年を通して家計簿を付けることができた。これまでも期間限定で付けたり、始めてみたものの途中で挫折したりしていた。だから、「何となく収支はわかっている」程度のものだった。でも、季節ごとにモロモロの費用って変わってくるし、年イチの支払い関係もあるから、通年で記録しておかなければ正しく収支を掴んでいることにはならない。

 1年間継続できた1番の理由は、今年から使用している家計簿にあると思う。婦人之友社から出ている「羽仁もと子案 家計簿」は、108年の歴史があるらしく時代に合わせて改良されて現在に至る。日々家計簿を付けながら、多くの主婦の声を反映してきたであろう108年の重みのようなものを感じることができる。大きく特長を2つ挙げれば、費目の立て方の詳細さというか絶妙さと、日毎の予算残方式である。各社から出されている家計簿を見たことがないので、他もこんなことをやっているのかどうかは知らない。でも明治生まれの羽仁やんが、100年以上も前に原案し、それを頑なに守り続け(というより良いから自然に続い)ていることに感服し、余計な装飾がないのも好ましいと思っている。

 家計簿はなんのために付けるのか。うちの場合は不安を解消するために始めた。「赤字になってなきゃいいや」でやってきたけど、子どもも生まれたし正確な数字は必要になってきた。そんな程度の動機なのである。なんのための不安解消?わからないまま不安だから漠然と始めただけであった。1年間付けてわかったことがある。それは、「来年の予算をかなり正確に立てられる」ためだったのだ。すべての収支を記録しているから、やる気になれば、1年間の納豆購入額もアルコールに消えた金額も家族全員の医療費もすべて出せる。これが分かった上で立てた予算は、かなりお金を使う時の安心材料となる。我が家にとっての過不足を感覚ではなく実態として掴んだことは大きい。なにせ僕たちは感覚だけで生きてきた人種なので。ということで、すごい家計簿の書式を知ってしまったので、これをちゃっかり我が家版としてエクセルに自流転用し来年も続けていくつもりである。
 
 ちなみに今年を踏まえて来年の我が家の家計訓は「節約は意識してもケチにはなるな。」つまり、費目のなかでも交際費は大事にしなきゃということだ。
# by zaoribiyori | 2012-12-30 00:57
 40歳を過ぎれば誰でも白菜キムチを1度や2度作ったことはあると思うが(ねーよ)、僕も生まれて初めて、この恐ろしく手の込んだ、コストがバカ高く付く漬け物を作ってみた。

 数週間前に冬タイヤ交換のために保管している実家に帰った。妻の実家にも1泊して、その帰りにいただいた野菜の量がハンパじゃなかった。クルマのハッチバックは野菜でぎっしり。「こりゃ八百屋」って言ってみんな笑った。収穫期におじゃましたからいつもの2倍3倍の量に。毎度のことだが誠にありがたいことです。新潟でお世話になっている方に差し上げてもいいんだけど、「福島の野菜」というだけで敬遠してしまう人も中にはいるかも知れないと、残念だけど我が家ですべていただくことにする。その量っていうのが、長い山芋10本、太いごぼうが10本、極太人参が…と、キリがないので省略。中でも特にすごかったのが白菜の巨大さ。平均的な白菜の重さって2kgぐらいらしいが、もらった白菜を量ったら5㎏。通常の2.5倍だ。これが3玉ある。新潟に帰る車中で妻と、この野菜たちをいかに延命させ調理するかを話し合う。ごぼうと人参はきんぴらを山ほど作って冷凍、大根は切干大根に。そして白菜は…、この時妻が言ってはいけないことを口にする。「キムチ作ってみようか!」元来妻は、この手の手製モノにチャレンジしたがりなのである。その時は僕も興味本位で、「いいね!やってみっか!」なんつってしまったけど、これが実際作ってみて大変なことになる。

 白菜キムチの作り方を簡単に言えば、
①白菜を切って丸一日天日干し。
②干した白菜に塩を揉み込み一晩漬ける。
③キムチの素を作る。
④漬けた白菜にキムチの素を塗り込み、一週間放置。
 これでキムチが食べ頃となって、1ヵ月ぐらいは持つとのこと。こうしてシンプルに要約すると簡単そうに見えるけど、一番厄介なのは③キムチの素④塗り込み作業だ。「市販のキムチの素でいいんじゃね?」と言っても「我が家のキムチが食べたい」という妻のクールな一言によって、いよいよキムチの素作りが始まるのである。

 とにかくキムチの素には驚くほどの食材が含まれている。イカの塩辛、スルメ、しじみ、人参、りんご、昆布、にんにく、生姜…疲れてきたから止めるけど、まだまだあったような気がする。1週間前の話なので、忘れてしまった。材料購入だけで5,000円ぐらいはしたはずだ。しじみなんて我が家で買ったことないんだから、そもそも。しじみ汁飲みたかったなあ。それはともかく、食材によって煮たり、おろしたり、切り刻んだりして、韓国産トウガラシに混ぜ込む。5㎏の白菜1玉分のキムチの素の量は半端ではない。「大きめのボウルに~」なんてレシピには書いてあるけどとても小さいので、洗濯機の横に転がっていたバケツを洗い、この中に食材を突っ込み自分の手も突っ込みとにかく混ぜる。妻と娘が寝静まった深夜に一人、ジャズを聴きながら右手をバケツの中でスイングさせる。なんとか出来たキムチの素を白菜の葉一枚一枚に塗り込む。葉の大きさと枚数が半端じゃないのでこれだけでも1時間近くかかったかな。ヘトヘトになりながらもすべてに塗り込み、発泡スチロールの容器に入れて密閉し、室内常温で一晩置き、そのあとは冷蔵保存。冬の新潟の外気は常時10度以下なので、うちはベランダに放置。キムチ作りと言う肉体労働が終わって風呂に浸かり布団に入ったが、しばらく右手がじんじんと熱い。冬には持って来いの作業なのだ(こじつけ)。

 1週間経って、キムチを取り出し、キムチ鍋を作ってみた。市販のキムチに慣れているせいか、何となく旨味が足りないんじゃないかって思ったけど、妻は僕を労うためにかうまいと言ってくれた。それにしても恐ろしい量のキムチがある。基本、鍋に突っ込むが、あの手この手でキムチを食い続ける日々が始まるのである。

 切干大根には1週間の天日干しが必要なのだが、この時期の新潟は晴天の日を見つけるのが難しく、せめて曇り空の日にベランダに広げて干してたが、なかなかうまく干せなかった。案の定、一部にカビが生えてしまい泣く泣く処分することになってしまった。東和のおじいちゃん、おばあちゃん、ごめんなさい。

 フレンチにしろ中華にしろ懐石にしろ素晴らしい食文化が世界にはある。高級料理だから、めったに食べる機会など回ってこない。聞いたことはあっても一生食さないままの料理っていっぱいあるんだろうなと思う。これは悲しいけど現実だ。でも、キムチを作っていてふと思う。身の回りの日常の料理にも、結構手が込んでいたり、先人の知恵が詰まってたりすることに気付かされ、いかに自分が何も知らないでここまで飲んで食ってきたりしたもんだと思う。身近な料理を改めてひとつひとつ作り上げて食べることで、「なるほどな」と、また深く納得して感謝して味わい尽くすことができるようになる。ありふれた日常で十分豊かさを実感できるんだなと気付かされたのである。
# by zaoribiyori | 2012-12-14 15:03
 6月から始めた主夫ブログだが、かなりの低頻度投稿により、ようやく30回目を迎えた。特に10月・11月は何かと立て込んで遠ざかってしまった。ありきたりの日記じゃつまらないし、一つ一つに自分なりに重要なテーマ(じゃないのもあるけど)を織り込もうと思っているし、時間を作るのに苦労するという点で、まあマイペースにつらつらと書いてきた。

 そもそもブログを書こうと思った理由は、主夫生活や子育てのドタバタを記録しておきたいということと、もう一つ大きな理由があった。それは文章を書くことを習慣化したいということだった。福島市の出版社にいた時に、日常的に書く文字量はせいぜい1つの記事あたり300~500文字程度。これ以上長くなる原稿は、年に数回あるかライターに委託していた。新潟に来て半年間、林業に関わる人や事業体の取材をして、1記事あたり4000~5000文字の原稿を十数本書いた。編集者というよりライターとしての仕事だったから、とにかく短期間にたくさんの原稿を書いた。こんなに書いたのは初めてだった。文章を書くこと自体は苦じゃなかったし、林業の現場を取材することはとても興味深いものだった。インタビュー取材の面白さに改めて気付かされた。林業は未知の分野だから取材時の質問と応答ではさっぱりわからなかったことが、録音データを起こして文字化していくと、話の裏側までわかってきて不思議な感覚があった。これは、人の話が自分の体の中を通り抜けることで起きる化学変化のようなものだと思っている。それだけインタビューが下手だということでもあるんだけど。
 
 話が逸れるが、お世話になっていた新潟市の出版社「ジョイフルタウン」は、「CAST」というアーティストへのインタビュー誌を半年に1回ペースでかれこれ23年も続けている。棚橋社長と林業取材でもお世話になった笹川さんのほぼ2人で、1誌あたり約30人のアーティストをインタビューする。そしてライティングも2人だけ。追い込み時期に笹川さんが2日連続徹夜して3日目に膝が痛くて歩けなくなり病院に行くのを見ていて、この人たち相当にこの仕事が好きなんだなあと思った。棚橋社長曰く「インタビューぐらい面白い仕事はない。その人の人生を体現できる。編集者冥利に尽きる」らしい。

 自分の文章がいかに下手かは自分がよくわかっている。その下手さ加減を常に知っておくには、常に書いて確認していなければならない。少しでも表現力を身に付けたいと思うならば、やはり書いて養うしかない。「暮しの手帖」編集長の松浦弥太郎氏によれば、うまい文章は誰でも書けるらしい。誤字脱字はともかく、勉強さえすれば語法文法を間違わずに誰でも書ける。でもそれではつまらない。重要なのは、「文章の中に真実と清潔感があるか」と言うことだそうだ。さらにその人なりの癖や熱意や性格やセンスやリズムが文体となって起きてくるものが面白いと僕は思っている。編集者当時、よく原稿を校正された。「なるほど。この表現のほうがわかりやすいな」というのもあれば、「なんで文章のリズムを損ねてまでこんな直しを入れるんだ?」というのまであった。校正してもらうことは本当にありがたいことだけど、「朱入れのための朱入れ」はいつも無視していた。幻冬舎の見城社長は作家の文章にガンガン朱入れすることで有名だけど、それは彼がその作家を知り尽くし読み込んでいるからできること。以来、僕は人の文章を校正する時は、その人の文体に沿いつつ新しい表現の提案をすることにしている。

 あるテーマで書こうと思った時に、その考えだけがはっきりしていても言葉が見つからなければ書けない。だから考えを、良く言えば熟成させる、簡単に言えば放っておく。するとふとした時に言葉が見つかる。決定的な言葉が見つかれば、あとはその「言いたいこと」をどのような構成によって効果的に登場させるか。このへんのことをモヤモヤと考えているのがわりと好きだ。この「決定的な言葉」は、悲しい哉誰にも気づかれていないかも知れないが、自分にとってはようやく見つけた鉱石なのである。僕にとって文章を書くことは下手の横好きバンザイなのである。
# by zaoribiyori | 2012-11-28 17:30