寝る間を惜しんで読んだ「ロング・グッドバイ」
2012年 10月 01日
慣れない主夫生活を始めてから、読むことができなかった長編小説を半年ぶりに読んだ。レイモンド・チャンドラー著「ロング・グッドバイ」。もしかしてこの半年で取りかかった長編はあったかもしれないが、途中で挫折してしまっていた。今回は違った。みんなが寝静まって自分も眠いけど読まずにはいられなかった。娘の昼寝中に読み、トイレに持ち込み読み、運転中に娘が寝たすきにクルマを止めて読んだ。時間がないから読めないなんていうのは言い訳でしかなかった。読みたくて読むべき作品なら長くても読了できることがわかった。
読み始めたら止めることができなくなったのには、作品に読ませる力があったからだ。文体にしびれた。フィリップ・マーロウにしびれた。ストーリーテリングにしびれた。もちろん村上春樹の訳が、チャンドラーの乾いた文体を損なわずに日本語での表現を開いていったことも大きいと思う。「ロング・グッドバイ」をなぜもっと若いうちに読んでおかなかったのだろう?と一瞬後悔したけど、やっぱり今読むから意味があったようにも思う。だってマーロウは、児童公園でよそのお母さんに愛想笑いをする必要はないし、折り込みチラシで卵の安いスーパーを比較することもないし、炊飯の水加減に迷うこともない。あまりにも自分の今の生活とかけ離れた男の世界だから、憧れを抱きながら引きこまれていったのだろう。
決して幸福じゃない男の生きざまだけど、どこの世界に幸福な男の生き方を定義できる言葉や方法論があるだろう?そもそも「幸福」なんていう言葉から一番遠いところにいなければいけないのが男なのだと。あれ?ちょっとかぶれてきたかな。とにかくマーロウを端的に言い表せば、「不完全な男を完全に生き切っている」ということだ。ほとんどの男が不完全で、ほとんどの世界は絶望的に不完全だ。いろんなことに抗いながら、不完全さを生き切るという答えの一端が僕には伺えたのだ。この小説には「ハードボイルド」なんていう形容では収まりきれない男の生き方が、言文と言外にたっぷり含まれていた。
恐らく僕は、理解不足から読みこぼしをたくさんしてしまっているはずだ。今度は、丸一日完全フリーな日ができたら(恐らく当分ない)、ぶっ通しで読んでみたい。そして、僕の英語力では一生かかるかもしれないけど、原文にチャレンジしてみたいとも思う。
読み始めたら止めることができなくなったのには、作品に読ませる力があったからだ。文体にしびれた。フィリップ・マーロウにしびれた。ストーリーテリングにしびれた。もちろん村上春樹の訳が、チャンドラーの乾いた文体を損なわずに日本語での表現を開いていったことも大きいと思う。「ロング・グッドバイ」をなぜもっと若いうちに読んでおかなかったのだろう?と一瞬後悔したけど、やっぱり今読むから意味があったようにも思う。だってマーロウは、児童公園でよそのお母さんに愛想笑いをする必要はないし、折り込みチラシで卵の安いスーパーを比較することもないし、炊飯の水加減に迷うこともない。あまりにも自分の今の生活とかけ離れた男の世界だから、憧れを抱きながら引きこまれていったのだろう。
決して幸福じゃない男の生きざまだけど、どこの世界に幸福な男の生き方を定義できる言葉や方法論があるだろう?そもそも「幸福」なんていう言葉から一番遠いところにいなければいけないのが男なのだと。あれ?ちょっとかぶれてきたかな。とにかくマーロウを端的に言い表せば、「不完全な男を完全に生き切っている」ということだ。ほとんどの男が不完全で、ほとんどの世界は絶望的に不完全だ。いろんなことに抗いながら、不完全さを生き切るという答えの一端が僕には伺えたのだ。この小説には「ハードボイルド」なんていう形容では収まりきれない男の生き方が、言文と言外にたっぷり含まれていた。
恐らく僕は、理解不足から読みこぼしをたくさんしてしまっているはずだ。今度は、丸一日完全フリーな日ができたら(恐らく当分ない)、ぶっ通しで読んでみたい。そして、僕の英語力では一生かかるかもしれないけど、原文にチャレンジしてみたいとも思う。
by zaoribiyori
| 2012-10-01 23:27


