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福島市から新潟市へ一家避難した子育て主夫の些細な気づき


by zaoribiyori
 今日8月30日(木)は、軽いハプニングはあったが、主夫ライフとしてごく平均的な1日だったので、タイムスケジュールを残しておこうと思う。「俺は新潟でこんなことをしてたんだ」と、後年振り返った時のために。

5:45 起床/起きてすぐ新聞を持ってトイレに入り、15分間流し読み。
 
6:00 妻の弁当&朝食作り/約1時間キッチンに立つ。弁当は昨晩、簡単に仕込みしていたので30分ぐらいで完了。内容は「イカとピーマンの塩炒め」「三角揚げとナスの煮物」妻が事前に作ってた「マカロニサラダ」他。

7:10 朝食/昨日妻の実家からお義母さんが作ったパン(市販されている!)を送ってもらったので、これをいただく。コールスローと自家製アイスカフェオレ。娘はパンと牛乳。遊び半分で食べてる。最後はおっぱいをねだる。

7:45 妻を職場へ送る/当初は片道40分の徒歩通勤をしていたが、夏場はやはり厳しいので送迎している。仕事場まではクルマで10分ほど。車中で授乳しながら通勤する働くママっぷり。

8:10 食器洗い&洗濯/食器や鍋洗いが終わると洗濯機も終わっていて干し方を始める。娘はこの時間帯Eテレ「おかあさんといっしょ」に夢中。

9:15 公園に行く/この暑さでしばらく公園に連れて行ってなかったが、昨日・今日と風が吹いて涼しく感じたので、連日行ってみた。今日は寺尾中央公園。しかし誰もいない。やっぱり子どもを遊ばせるにはまだ暑いかな。誰もいないと「ラッキー!」と「残念…」が入り混じる。この複雑な気持ち何となく分かる?滑り台を果敢に攻める割と度胸がある娘。

10:30 帰宅/じりじり暑くなってきた。早いうちに公園に行っててよかった。

11:00 娘の昼寝/公園に行かない日は大体決まって10時~12時で寝る。すんなり抱っこして寝る時もあれば、なかなか寝ない日もある。そういう時は、クルマに乗せて5分も走るとすぐ寝てくれる。今日は公園で遊んだので、寝入りもよくたっぷり3時間寝た。このすきに内田樹「街場の読書論」を読む。2テーマ読んだ後、昼寝しようと思い目をつぶるが寝れない。妻からメールが入る。「社会保険の絡みで家族の書類が必要なので、午後に職場まで持ってきて欲しい」という内容。書類を書く。

12:30 1人で昼食/妻に詰めた弁当を同量作っておいてこれを食べる。

14:00 娘が起きる/寝起きにママを探していないとわかり、大泣きする時があるが、今日はすっと起きた。

14:30 娘の昼食/ご飯に三角揚げを混ぜて軽く煮込み雑炊に。珍しく自分の手できれいに全部食べる。牛乳を今までにない量100ccぐらい飲む。

15:15 妻の職場へ書類を届ける/クルマまで妻が取りに来たが、それを見た娘はポカンとしている。妻が仕事に戻りクルマを出したら、状況に気づいて娘が泣きだす。「ママー、ママ―」。

15:45 帰宅寸前の嘔吐/後部座席で娘がせき込んでいると思って振り返ったら嘔吐していた。さっきの牛乳大量飲みに無理があった。洋服は嘔吐物でぐちゃぐちゃ。チャイルドシートも汚れる。エライこっちゃ!

16:00 帰宅/すぐ娘とシャワーを浴びる。洋服を洗濯する。クルマの清掃をする。しかし、部屋から娘が泣く声がするので1分ぐらいですぐ戻る。

16:30 娘と遊ぶ/この時間帯はEテレの子ども番組が中心になるが、飽きてくるので、絵本やブロックやお絵かきや追いかけっこで遊ぶ。夕食の仕込みを始める時でもあるが、今日は仕込みなしの簡単料理に決めたので、料理は妻が帰ってきてからに。

18:30 妻を迎えに行く/妻がクルマに乗ると娘は即おっぱいをねだる。

19:00 夕食/トマトとししとうをめんつゆで軽く煮て最後にとろけるチーズをのせてご飯にかける。10分もかからない謎の「チーズ・トマト丼」。妻は本当なのかどうなのかうまいと言ってくれた。2人とも2週間の禁酒を実行中なので飲まない。

20:00 食器洗いと明日の準備、妻と娘は入浴/明日は「ナポリタン弁当」のため、パスタを茹でてオリーブ油を絡めておく。実家から大量に届いたモロヘイヤを湯がいて、冷凍しておく。

21:00 入浴/ようやくひとりの時間となる。妻と娘は寝ていることが多い。

22:00 家計簿・育児日記など/どちらも2~3日ためて書いているのが現状。寝るまでに読書・テレビ・ネットなど。

23:00 就寝

 娘の嘔吐のみイレギュラーだったが、他はルーチンワーク。こう見ると忙しいようで、大したことはない。娘の昼寝3時間は一息つけるし、細かい作業がいろいろあるが、段取りよくやれば楽なほうだ。一番大変なのは、子守だと思う。テレビを見させるのは楽なんだけど、その弊害を考えるとどうしたもんかと思い悩むところ。           
# by zaoribiyori | 2012-08-30 22:44
 乳離れのタイミングは個人差があって、ほとんどのケースが1歳前後から2歳前後の間と言われているようだ。極端な例では、生後数ヵ月で終わる子から5~6歳まで引っ張る子までいろいろいる。多くのお母さんが、子どもが1歳半になる頃には「うちの子もそろそろ」と考えているはずだ。

 我が家の場合。1歳7カ月になるが、授乳は続いている。恐らく1歳過ぎから栄養面は食事からで十分摂れているが、今現在乳離れには至っていない。今年の4月から、平日の日中に母親がいなくなる状況になって果たして大丈夫かと心配したが、なんら問題はなかった。その代わり、平日の朝・夜、週末のフルタイムは「メンメ、メンメ(おっぱいのこと)」の連呼になってしまった。母親に甘えられる時間が限られているから、これもしょうがないと思い見守ってきた。その割におっぱいを飲んでいるわけではなく、ただしゃぶっているだけのようで、一番の悩みは噛むこと。妻はこれが痛くて痛くてたまらないらしく、時々泣いたりしている。「もう卒乳してもいいかな」と僕も妻も思っているが、「メンメ」と泣きじゃくる娘に最後は根負けして授乳しているというのが現状だ。

 3日前の土曜日、自分は一日外出していて、久々に妻と娘2人だけの時間を過ごしてもらった。そして妻と娘にとってのターニングポイントがあったようだ。昼過ぎの授乳時、激痛と言えるほど噛まれた。妻は泣いた。娘はおっぱいをもらえないのとママが泣いているのが絡み合って、大泣き。ついにこの時が来たと妻は決意を固めて娘に、「もうこれで終わりね。最後の最後のメンメね」。妻はこの瞬間、相当に寂しくなったらしい。これまで痛くて心底ブルーになった時は数えきれないが、いざ我が子と授乳という生理的な繋がりが断たれてしまう切なさがあったのだろう。そして娘も言葉は理解できないまでも、何かを察して「うん」と首を縦に振った。娘も覚悟を決めたのだ。その後数時間、娘はメンメをせがむことはなく、おもちゃで遊んだりしながら必死で気を紛らわしている様子だったらしい。エライもんだ。なんか禁煙する人に似てるけど。

 僕は帰宅してこの話を聞いて、男親には介入できない母と子の壮絶で濃密な時間を想像した。それはそれは、大きな出来事だったことだろう。「そうか、ひとつの区切りだな。こうやって少しずつ成長していくんだな。」すると妻が「でもさっきね、ものすごくおっぱいせがまれてね、上げちゃったの。」「えっ?」膝から崩れ落ちた。一体今の話はなんだったんだろう?そして母子の不退転の決意から3日経った現在、授乳は続いている。妻と僕はもちろんだが、もしかしたら娘も卒乳を願っているかもしれない。しかし、その道のりは長く険しい。3人が本当の本当の覚悟を決める時は一体いつになるのだろう。
# by zaoribiyori | 2012-08-29 15:14
 娘が1歳7ヵ月になった。どういう時期かと言うと、歩いたり走ったりするけど転ぶ回数も多い。階段をゆっくり上ることはできるけど、下りるのはかなり危ない。言葉は単語を少しずつ覚え始めていて、大人が言ったことを片言ながら繰り返す。それから自分の意思ががかなりはっきり立ち現われてきている。昨日のNHKの育児番組では、1歳台から2歳前後までの「イヤイヤ期」をどう乗り切るかということをやっていた。親がさせとようとすることが何でもイヤイヤなのだ。これはつらい。どうしてよいかわからなくなり育児放棄してしまうこともあり、女性司会者はまさにイヤイヤ期の子を持っているようで、専門家のアドバイスや慰めを聞いて番組中に泣き出してしまった。専門家によれば、イヤイヤ期は意思の現れでもあるので、基本的にはあまり叱ったりせず大変でも見守るのが正しい云々と言っていた。対処法を紹介するのが番組の目的だろうが、同じ境遇の親達を見ることて共感し孤独感から解放させることも番組意図に含まれているのだろう。

 明確な意思の現れとは、好き嫌いがはっきりしてくるということ。うちの娘の場合、日中は一緒にいる父親と「まあアンタしかいないから付き合っておくか」的になんとか乗り切り、夕方母親が帰ってくると「ママー、ママ―」とべったりになる。そして僕に「バイバイ」と手を振る。「アンタはもういらないよ」と。これは相当ショックを受ける。決して完璧じゃない子守だけど、この子のために神経を使って身を挺しているつもりだ。娘だって僕を頼って接していたはずなのに、母親さえいれば文字通り手のひらを返してバイバイである。例えば3人で一袋のお菓子を食べていたとする。お菓子の袋を僕が手に取り食べたりすると「お前は食うな。ママにやれ」である。表情やしぐさでそう伝える。それを無視して食べ続けたら泣き出してしまった。これまでもバイバイはよくやられたが、今日の突き放され方やリアルな表情にはこたえた。
 
 しばらくショックから立ち直れなかった。久々に人から傷つけられたような気持ちになった。でもなぜ、まだ1歳で悪意もない子どもから受けた「お前はいらない」にこんなに深く悲しくなるのだろう?眠れなくなってしまった夜に悶々と考えた。ひとつわかったことがあった。それは、僕にとって娘は、単に一方的に世話をする相手ではなくて、毎日毎日の生活のかけがえのない相方、パートナーなのだ。娘がいるから僕がいる。僕がいるから娘がいる。日々いろいろな格闘があるけど、一緒だからなんとかやってこれた大事な相棒から、「バイバイ」されたのである。妻がこのことを笑いながら娘と遊んでいる姿を見て、一家での疎外感を抱き孤独な親父に僕はなってしまった。
 と、まあ平均的な家庭の父親の定位置を確立しつつある今日この頃なのである。
# by zaoribiyori | 2012-08-25 23:32
 主夫の大事な仕事に買い物がある。大なり小なりほぼ毎日と言ってよい。よちよち歩きの子どもを連れての買い物は、なかなかしんどい。スーパーで大人しくカートに乗っていればよいが、降りたいとグズって降ろしたら大変。商品を片っ端から手に取る。ビン類などを手にすることもあるので目は離せない。最近は10個に1個は棚に戻すようになった。少しずつ、覚えていってもらえればそれでよい。子どもとの買い物は大変だけど、子どもなんだから仕方がない。

 最近、買い物が心楽しいものではなくなっていることの理由に、オバサン達との遭遇がある。イライラとゲンナリに襲われる。誰でも何度かそういう場に遭遇したことはあるだろう。
 例えば、バナナ3本で48円なんていう安売りをやっていたとする。バナナが入った段ボールに群がる5~6人のオバサン達は、次から次へとバナナに手を伸ばし選別して放り投げる。出荷作業かよ!って突っ込みたくなる。たかが48円のバナナに何人ものオバサン共は、後ろからバナナを取りたい客が待っているのに、お目当てのバナナを探すために必死だ。僕はこれ見よがしにオバサン達に割り入って、放り投げられたバナナを買い物かごに入れる。例えば会計時、何台かレジがあってもレジ打ち店員が1人しかいなくて、他は休止中みたいな時がある。徐々に会計待ちの客の列が長くなる。レジ打ち店員が1人増えてもう1台レジが開かれる。こういう場合、列の2番目に並んでいた人が新レジでの優先権を得られるのが常識だが、オバサンはそんなことおかまいなしに新レジに駆け込む。そしてまた別のレジが開けられると、そこを狙う。見苦しい。少しでも列が短いレーンに移るチョロチョロ稼業のオバサンも大変だ。また先日は、いかにも人相の悪いオバサンがいきなり店員に「ねえ!」と大声で呼ぶからびっくりして見ていたら、「ここに出てる食パン、この日付しかないの!?奥に新しいのあんじゃないの!?」と聞いていたのには腰が抜けた。決して賞味期限が切れていた訳ではない。陳列された商品からより新しい日付を選ぶのはわかる。しかし、ハナから怒鳴り声で奥から新しいのを持って来いとは無礼を通り越して変人の部類だ。このオバサンの顔と口調はヤクザ級だったので、しばらく気になって(誰でも気になるよね)、店内でずっとマークしてしまった。こういうオバサンって恐いものなしなんだろうな。そしてこんな連中を相手にしなきゃいけない店員って大変だなって思う。オバサンの愚行、雑言はまだまだあるが、最近遭遇して思い出せるものを挙げた。

 意識的に優れた人格者に触れて、「あー自分もこうならないと」ってほとんどの人が向上しようとしているのが世の中だと思っているので、突然モラルのかけらもない人に遭遇すると「え?なんだ?」ってびっくりする。往々にしてオバサンに多い。男の人でもいるだろうけど、大体は仕事上一定のルールに乗っかって遭遇することが多いので、そんなに頻繁には出て来ない。平日昼間のスーパーで会う人となると必然的にオバサンの確率が高くなる。
 なんでこういう非道徳的なオバサンが生まれるのか、考え込んでしまう。以前、専業主婦で1人だけそういう人を知っていた。思い出したくもないので具体的に触れないが、決定的に人と関係を結ぶための要素が抜け落ちていた。そもそも家から出なくても生きていけるから、そんなものは必要ないのだ。我のことばかり考えていればそれで良いのだ。しかしこれは不幸だ。恐らく家族からも尊敬されないだろう。誰だって自分が正しいと思ったり自己を守りながら生きていくけど、仕事などで社会に出ればそれは早晩壊され、自分を立て直さなければならない。人に頭を下げてこそ強靭な自己を作り上げることができて、人さまの痛みも理解できる。社会のあり方を知り、いろんなことに感謝できるようになる。「専業主婦≒非道徳的オバサン」とひとくくりにしている訳ではなくて、傾向的に多いのではないかという持論だ。そういえば妻の職場にもいた。我が家ではこの人のことを「小言ババア」と呼んでいて、仕事中絶え間なく小言を言っている。口癖は「私に言わせればねぇ、」だそうだ。一般市民から電話がかかってきて切った後に、「ったくこういうことは電話じゃなくてメールで問い合わせしてこいよな」とか言うそうだ。つまり、「公務員≒非道徳者」も付け加えておきたいということである。
# by zaoribiyori | 2012-08-14 21:22
 ずいぶん前から楽しみにしていた新潟名物のライブだ。夕日が沈む浜辺でみんながビール片手に熱狂する。会場の青山海岸は、家から徒歩30分足らず。ここに住んでいて行かない手はない。

 昼間から持っていくものの準備に取り掛かる。午後に妻が2時間ばかりの休日出勤に出掛けたので、1人でせっせとクーラーボックスに飲み物や食べ物を埋めていく。まずはビール、そして保冷用の凍らせた麦茶。近所の個人直売所から枝豆ととうもろこしを買い込む。ちなみにこの直売所を、うちは大変重宝している。新鮮で安い上に顔なじみにもなっているのでサービスもしてくれる。今の季節だととうもろこしは1本50円~100円、ズッキーニが2本入って150円、トマト2個で100円。販売2日目になってしまうとナスなんか5本入って50円っすよ。こんなのある?売れ残りの大量の大葉やししとうをポンとくれる。ありがたいよ、おいちゃん・おばちゃん。
 とうもろこしや枝豆は、2日に1回は買ってくるので、塩気を含んだ茹で方がこなれてくる。いなり寿司をたっぷりとタッパに詰める。モロキュウは妻のおばあちゃんが作った味噌を付けて食べる。お菓子やなんやをしのばせて準備完了。

 妻の帰宅後、日差しが和らぎ浜からの気持ちよい風が吹き始めた夕方、おもむろに家を出る。娘をベビーカーに乗せて妻が押し、僕がクーラーボックスを乗せたカートをガラガラと引きながら現地に向かう。浜辺に近付くにつれ、あちこちから人が集まってくる。17時開演だったが、暑い時間帯を避けるために17時半ごろ現地に到着。入場無料のライブだが、運営費として1人500円のカンパを求められ1,000円札を箱に入れる。この日ばかりは遅くまで営業している5~6軒の海の家は、大変な盛況だ。広いビーチの遠くにステージが見え、前座的な人が歌っている。我々はライブでガンガンに手を上げ吠えまくるというより、多少アーティストが見えなくてもビール片手にいなり寿司を頬ばるのが主目的なので、ゆったりとした場所を選んでシートを広げた。娘が多少走り回ることもできるゆったり感だ。

 今夜のメジャーどころは、綾戸智恵、キマグレン、岡本真夜といったところ。1本目の缶ビールを空けたころ、岡本真夜が出てきた。観客はいつの間にか増えていて、自分たちの後ろも砂浜が見えなくなるぐらい埋まってきた。いよいよ夕日は水平線まで近づく。18時半ごろ。正確に言うと、青山海岸から見える夕日は日本海に沈むのではなく、遠くにうっすら見える佐渡ヶ島に沈む。西側の空をオレンジと水色のグラデーションが覆い尽くす。夕日が完全に沈んだ頃、いよいよキマグレンの登場だ。空は見たこともないような色と色が重なり合いマジックアワーを迎え、ビーチは総立ち状態となった。僕も娘を抱きかかえ叫び、妻は跳び跳ねていた。曲中にキマグレンが「ニイガッラー!」と吠えた時、鳥肌が立ち何かがこみ上げてきた。新潟に越してきて約1年、俺もようやく新潟市民になったんだなと思った。

 娘が飽きてきてグズり始めた頃を見計らって、帰り支度を始める。ステージは綾戸智恵に切り換わる時だ。残念だが背中で綾戸を聴きながら会場を出る。運営スタッフや出口の警備員に「お疲れ様ですね」と声をかける。こんな大がかりのイベントを行政や市民が一体となって実行する新潟市に、僕たちが住んでいることを本当にありがたいと感じる。
 浜風を頬に受けながら家路につく30分は、アルコールを飛ばすのにちょうどよい時間だった。来年ももちろん行く。ブログを読んでくれている友達諸氏よ、こんなライブもあんまりないから、来年は遊びにおいで。泊っていいから。
# by zaoribiyori | 2012-08-04 22:54