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福島市から新潟市へ一家避難した子育て主夫の些細な気づき


by zaoribiyori
 福島の会社を辞めたのが昨年の7月末だから、ちょうど1年が経過した。ありきたりだが、勤めていた日々がこないだのような感覚がありつつも、この1年を振り返ればいろんなことがあり過ぎた。どんな1年にもいろんなことがあり過ぎるので、厳密に言えば、新しいことやイレギュラーの連続だったというほうが正しい。時間の流れが変わり、視界が開け、体調が良くなった。
 
 最近でこそ、妻が就職したおかげで揺れの少ない日々を送っているが、会社を辞めてからの8ヵ月間は「この先どうするか」的な焦りが半分、新しいことへの期待が半分で渦巻いていた。今もそういう渦巻きの中にいることに変わりはないけど。
 
 ここ1年間は、続けざまに大小さまざまな選択を強いられた。その都度、無い知恵と勘のようなものだけで進んできたが、つくづく感じるのは「何かに担がれてここまで来れている」という感覚だ。3人が乗った小舟を見えない力が働いてここまで運んでくれているという感覚だ。もちろん会社を辞める時も、新潟への避難も、新潟の出版社との期間契約も、妻の官公庁採用も、その他諸々も多くの人の助け、支えがあったからに違いない。この方々への恩は決して忘れない。それでも「なぜ、あのタイミングで新潟の社長は電話してきたんだろう?」とか、「どうしてこの立地のアパートが我々の前に現れたんだろう」とか、「この採用枠になぜ妻が選ばれたのだろう?」とか、説明できないことがいろいろある。自分たちもできる限りのことはした。小さなトライ&エラーを繰り返した。しかしその先はどうしようもないところがあるが、ことごとく好転してくれた。

 2年前に結婚し、その7ヵ月後に子どもが生まれ、出産1ヵ月後に震災が起きた。我々を導いているのは、もしかして娘なんじゃないかと妻と話す。それもあるだろう。内的変化と外的変化のうねりの中で、自分たちを見失わないように歩いてきたが、これらの変化に対応することには少しの疲れも感じていない。もっと別のことで僕は疲れていたから、変化を望んだのだ。

 「見えない何かに担がれて来れた」のではなく、多くの方々(自分たちが気づいていない人もいるだろう)の一人ひとりの手で担がれて手渡しされて、この小舟は荒海をひょいひょっいっと航海して来れたのだろう。多くの皆さまの支えが結集して見えない力を生んでくれたのだろう。ありがたい話である。そして妻と娘に心から感謝しているのである。
# by zaoribiyori | 2012-08-03 13:31
 他の地域もそうなんだろうけど、新潟市では幼児の「一時預かり」を認可・不認可問わずほとんどの保育園で対応してくれている。4時間未満だと900円、4時間以上8時間未満で1,800円の保育料。8時間を超えると超過料金が割増で発生する。

 昨日の一時預かりは娘にとって、2度目の保育園となった。これまでにもちょっとしたイベントや講演などに参加する時にその会場内で2時間程度の保育サービスなどを利用したことはあったが、数回程度だ。保育園に一時的に預けるのは、ほかのレギュラーの園児たちの中に飛び込まなきゃいけないので、子どもも大変だろうと思う。
 保育園に着き、職員室で簡単な書類にサインして子どもを保育士に渡す、いや保育士が現れただけで娘は勘づき大泣きする。それはそれは切なく「ごめんよ~ごめんよ~」と言って保育士に預ける。保育士はこういう時の要領を得ているので、すばやく僕の手から取り上げ、1歳児の保育室へ連れていく。「お父さんはもう帰ってください。姿が見えるとまたここに戻ってきちゃいますから。」「あ、あ、そうですね。それではよろしくお願いします。」保育園の玄関で靴を履く時、泣き続ける娘の声が聞こえる。「ママーッ、ママ―ッ」と叫んでいる。娘の「ママ」は母親のことを指しているとは限らないようで、時々僕に向かっても「ママーッ」と呼ぶ。娘にとっていつも近くにいるこの2人をまとめて「ママ」と呼んでいるようだ。そんな娘の泣き声を背にしながら、用事を済ますために保育園を後にする。「みんなと一緒に遊べるだろうか」不安だけど、あとは子どもの世界なのだ。
 3時間後、保育園に迎えに行くと今度はケロッとしている。「ああ、あんた迎えに来てくれたのね。もうちょっとゆっくりしてきたらよかったのに」的な顔だ。周りには娘の名前を呼んでくれる友達までいた。園長先生は言う。「子どもたちはすぐ友達になるしね、友達を見て覚えることもたくさんあるんですよ。」担任の先生は「午後一時にトイレの練習をするんですけど、みんなと一緒にトイレに行っていつまでも便座の上に座ってましたよ(笑)。」ありがたい話である。そして我が娘を数時間でも安全に預かってくれた保育士さんに感謝感謝なのである。
# by zaoribiyori | 2012-07-24 22:51
 昨年の10月から今年の3月まで、新潟県の林業をフィールドとした冊子を作るために、県内の森林現場を取材してまわった。2種類の冊子を作り、林業の魅力を県内に流布することが目的だった。4月初旬には刊行された。編集後記を再録する。

《現代の経済構造だと本当に必要な仕事ほど儲からなくて、なくても大して困らない仕事ほど儲かっている側面があると思うんです。一次産業と関わり応援する仕事ができたらと常々考えていました。今回の新潟県の林業の取材は僕にとってとても有意義な仕事となりました。森林で働く人たちの大らかさ、実直さ、素朴さ、優しさに触れたことが何より大きい。「山が好きだから」「自然を守らないと」なんて軽く答えて、またすぐに刈払いを始めたりバックホウの運転に戻る若い森林技術員の姿が逞しく見え、自分が卑小に思えたこともしばしばです。生易しくはないけどなんだか清々しい気持ちでいられる山の仕事。これからも皆さんを見守っていくつもりです。》

 昨今の土砂崩れの頻発は、もちろん記録的と言える豪雨に起因することが大きいが、山の荒廃も一部原因している。簡単に言えば、山は本来、水を貯めておく大きなダムとしての役割があるのに、それが機能しなくなった。広葉樹から針葉樹の比率が高くなったこと等々。山が荒れると水質も低下するので、里や田に影響が出るし、海中の環境まで変えてしまう。いくつかの現場は、漁協からの発注による森林整備事業だった。森林技術員(山で働く人を僕たちはこういう呼び方で統一していた)の担い手問題も深刻だったし、危険でハードワークなのに待遇が恐ろしく悪いのにも驚いた。それでも使命感を持って仕事をしている彼らに、僕は敬服しながら取材していた。とにかく一番の収穫は山で働く人たちと触れ合えたことだ。編集後記で触れたような人格を持ち合わせ、皆一様に口数が少なく飾らなかった。黙々と山仕事に向き合う。久しぶりに男惚れする機会に巡り合えたような気がした。

 何人かのインタビュイーの中で村上市山熊田地域の大滝冨男さんという方は印象に残っている一人だ。村上市は県内でも有数の林業振興地域。ここで林業歴50年以上、40代までは人を使って大規模な架線搬出(山の上からロープで材を出す)もやるような、地域の重要産業をけん引してきた人だ。熊狩りや炭焼きなど山間地特有の営みや文化についても興味深く聞かせていただいた。
 大滝冨男さんが仕事中の事故で亡くなったのは、7月18日のことだった。機械を操作中に15m下に転落し、出血性ショックで命を落とした。70歳だった。翌朝の新聞でこれを読んだ時に、血の気が引き、なんと痛ましいことだろうとしばらく呆然となった。親方として何十年も現場の安全を守ってきた人だったのに…。取材中、傍らの薪ストーブで栃もちを焼いてくれた奥さん、そしてご遺族の気持ちを思うと可哀そうでならない。
 取材チームで一緒だった他の4人にも、知らせのメールを送った。みんな驚き、そして落胆した。みんなから返ってくるメールから、深いため息を感じることができた。告別式ではなく、もう少し日を置いてインタビューの録音データを持参して弔問することとなった。

 林業作業中の死亡事故は、高年齢者が多い。背景には、若い担い手不足によりどうしても高齢労働者が増えている現状もあるのかもしれない。林業界は、さまざまな事故対策を講じているとは思うが、事故はなくならない。実際に冬山の現場などを訪れると、いかに危険かがわかった。出血性ショックは救急治療を施せば命は助かることもあるそうだが、山奥の現場だから難しい。死と隣り合わせの仕事はいろいろあるだろうが、山仕事の労働環境、待遇面がもっと改善されることを切に願う。
 山で生きてきた男が、山の仕事で死んだ一例で終わるのかもしれないが、僕にとっては1月下旬の夕方、雪深い山熊田の大滝邸を訪れた映像が目に焼き付いているし、大滝さんの林業人生を拙くも収録できたことがとても意義あるものとして、心に刻んでおこうと思う。
# by zaoribiyori | 2012-07-24 16:54
 「慣れない家事をよくやってるねえ」「男の人が子どもの世話をするのは大変」みたいなことをよく言われる。確かに主夫を始めて1ヵ月で3キロ痩せた。食生活を変えたわけでも運動を始めたわけでもない。1歳児の世話をしていたら誰だって痩せられる。子どもを抱っこする、おんぶする、おむつを替える、服を着せる、公園で一緒に遊ぶ、夏場は日に3度のシャワー、こんなことを四六時中やっているわけだから足腰だって鍛えられる。並行して家事もするから夕方ごろはぐったりしてくる。

 主夫をやると決めた時は、「どれだけ大変なんだろう?」と不安でとにかく相当な覚悟を強いていた。「これはしんどいな」となった時でも「まだまだ!」みたいに自分のキャパを予めデカクしておきたかったのだ。実際に始まってみるとやはりしんどかった。家の中でも外でもいろんな苦労がある。保育園に預けて仕事を始めたくなったこともしばしばあった。
 それでもなんとか自分に言い聞かせてやってこれているのには理由がある。それは「働きに出ている妻のほうが断然大変」だからだ。妻は某官公庁に勤めている。それこそ慣れない業務、新人として身を置く上下関係、新潟という地理的不利、こんな諸々をモノともせず(モノともしてるかな)日々職場に向かう。毎晩、夕食時にその日あったことを聞いていると、いかに大変かがこないだまで勤め人をしていたから身にしみてよくわかる。過分な業務量を少しでも手伝ってあげたいと思うがそれはできないので、ならば家族としてできることは最大限してあげたいと思う。家事なんてその日その日で終わる。せっせとルーチンをこなせば、「また明日」だ。引きずることなんてない。勤め人はどうか。今日の予定、週の予定、月の予定などで頭がいっぱい。仕事をしていればいろんな人に出会う。ややこしい人間関係が生じる。ミスを犯す。トラブルが起きる。誰かの言葉がいつまでも心に引っかかって離れない。家に居てもそんなことをつい考えてしまう。

 大家族の家事をしているわけでもないし、5人の子どもの世話をしているわけでもないが、敢えて言わせてもらえば、家でどれだけ多くの雑務をこなしていても外に出て仕事をしている人のほうが絶対にエライんです。
# by zaoribiyori | 2012-07-19 22:51
 妻が金曜日に振替休暇をとったので今回は4連休となった。義妹家族とコテージで過ごしたり、私と妻両方の実家に泊まったり福島の友人の家を訪問したりと慌ただしくも日常を忘れる休暇がとれた。
 
 新地町の実家に帰った際、親に子どもを見てもらって、相馬市内で買い物をして書店に立ち寄った。子どもなしで書店に行くのは子どもが生まれてから初めてなので1年半ぶりということになる。子どもが一緒だと書店でゆっくり時間を過ごすことはできないので、貴重な40分だった。フィクションでもノンフィクションでも読みたい本はたくさんあるけれど、育児と家事に追われていると読む時間がなかなかとれない。ならば雑誌をと思って手に取ってみるが、以前のように購入する動機はおろか、面白いと思えるものがなくなっていた。妻は以前、雑誌購入に月に1万円ぐらいかけていたが、現在は2ヵ月に1冊程度になってしまった。2人とも雑誌をつくる仕事をしていたので、悲しいことではあった。書店を出た後、「どうしてだろうねえ」と話し合ったが、簡単には答えは見つからなかった。雑誌からは情報やセンスや驚きや非日常を得たいのだけれど、このどれも引っかかってこなくて自分と雑誌、両方に落胆してしまった。このことはこれからももっと突きつめて考えていきたい。

 福島県内で発行されているフリーペーパー3~4冊が、福島の友人宅のテーブルに無造作に置いてあった。僕たちが来るから友人が意図的に置いたのかも知れない。手にとってパラパラとめくってみた。初めて見るペーパーばかりだから、僕たちが福島から引越した後、つまりここ1年で発行されたものだと思う。中身は大体共通していて、いろんな人が誌面に出て「絆がどうのこうの」「自分にできることは~」これが延々と繰り返されているのである。僕はこれを見て、大きな失望と無力感に襲われた。「なんでこんな言葉を未だに使い続けるのだろう?」と。「福島」という今とても重要な地域から発信される言葉が「絆」とか「できること云々」のオンパレードであることを見たときに、つくづく「もう言葉はいらない」と実感した。自分がこういうメディアを使って発する言葉はとても見つからない。自分の無力感を痛感した。しかるべき時期のしかるべき場所から打ち出だすメディアはどんなに小さくても、やるからには言葉と表現方法を持ってもらいたいと思うのだが、「フリーペーパーだからねえ…」と言われると、「んん…」と唸ってしまうのである。
# by zaoribiyori | 2012-07-16 23:12